fc2ブログ

プロフィール

うっかり君

Author:うっかり君
FC2ブログへようこそ!

最近の記事

最近のコメント

リンク

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

現在の閲覧者数:

FC2カウンター

カレンダー

02 | 2024/03 | 04
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -

最近のトラックバック

リンク

小さな天気予報


-天気予報コム- -FC2-

ブロとも申請フォーム

2007/11/19 (Mon) 21:00
風林火山 46回  関東出兵

武田信玄(市川亀治郎さん)と山本勘助(内野聖陽さん)は上洛して正式に関東管領となった長尾景虎(Gacktさん)について話し勘助は景虎と決戦の時が来たと進言しその為の戦略拠点として川中島に城を築く事を決める。武田四郎が元服して諏訪勝頼となった。勝頼のりりしい若武者ぶりを目にして勘助の目にも嬉し涙がっとゆう感じに。勘助は越後をにらんで信濃の地に留まり今は地元の名家香坂家の養子となった香坂弾正虎綱(田中幸太朗さん)と久しぶりの再会。勘助は景虎との決戦の戦場は川中島の八幡平になるだろうと考えて平地部分に新たな城を築くと語りその城を信玄の命で香坂虎綱に任せる事を告げる。勘助はその景虎との戦で勝頼の初陣を飾らせたいと考えていたのだが香坂はそれなら勝頼を戦場に出さずに城に待機させる方が良いと進言。香坂は上杉との決戦になれば激しい戦になり信玄や信繁や義信等も戦死するかもしれないとそうなれば武田の家系が絶えてしまう怖れもあると。香坂は景虎には信濃侵略の意志がなかった事や武田方が勘助の策略等でなんとか現在の信濃の情勢を保てているだけでもし景虎が本気で信濃に攻め込んで来れば…っと景虎の怖さを勘助に説くのだった。

景虎は関東管領の上杉家が北条に奪われた領地を取り戻すとゆう大義名文で上州へ出陣。上総に居た北条氏康(松井誠さん)は景虎の進軍を知り武藏松山城に入り本陣を構えた。長尾景虎は上州各地の城を下しながら厩橋(まやばし)城に本陣を置いた。景虎の元には上州の反北条の中小勢力も加わる事に。その中には長野業政(小市慢太郎さん)の姿もあり上杉憲政(市川左團次さん)に挨拶するが景虎はこれからは自分が主人だと業政に告げ北条に好き放題やられていて情けない等と反北条勢力の武士らに皮肉を。そして景虎はこの戦は上杉家の復讐ではなく神の命じるまま戦うのだと告げるのだった。北条氏康は景虎とのこの地での決戦は避け武藏を捨て自分の本拠地である難攻不落だと自信がある小田原城で景虎を迎え撃つ事に。その際北条方の勢力の諸将にも各自の城に籠城を命じたのだった。

香坂は勘助の指示通りの場所に城を完成させた。海津城だ。城の様子を見に来た勘助は34歳で独身の香坂にもっと儂から軍略を教わりたいか?等と訪ね香坂か頷くと今度1度甲斐の勘助の家に来るようにと授けたい物があるからと告げる。景虎は厩橋城でそのまま新年を迎える事に。宇佐美定満(緒形拳さん)は最近神がかり的な言動や行動の目立つ景虎に胸騒ぎの不安を感じていた。3月になり長尾軍は武蔵へ侵攻。その頃には軍勢は10万に膨れ上がっていた。景虎は忍城の成田長泰(利重剛さん)の元を家臣数人連れだけで訪れて降伏を勧告し成田長泰は受け入れ景虎は早速小田原城攻めの先鋒を命じるのだった。長泰の妻伊勢(井川遥さん)景虎らに酌をしたのだが伊勢を見て景虎の表情が変わる。伊勢が美しい事もあったが景虎の亡き生母虎御前に面影がよく似ていたからだ。景虎は伊勢との会話で京から輿入れした時に長い船旅が怖くて霊峰富士山を見られなかったとゆう話を聞き突然伊勢も小田原に連れて行き自分の本陣に留め置くと長泰に告げるのだった。これは長泰が裏切らない為の人質でもあった

景虎は小田原攻めを開始し籠城して迎え撃つ北条勢。氏康は堅固な小田原城で徹底抗戦し景虎の後方から籠城していた味方の諸将に兵糧等を奪わせる攪乱戦法に。長尾軍は10万の大軍だが兵が多ければ兵糧もたくさん必要になる事が弱点に。更に戦闘が長期化すれば大軍とはいえ所詮烏合の衆で混乱が起こるだろうと氏政は考えていた。景虎は当初3日あれば簡単に小田原城は落ちるだろうと考えていたが事態は長期戦の様相に。北条は三国同盟を結んでいる武田と今川に援軍要請していたが今川には桶狭間の戦以降織田側に寝返った松平元康(後の徳川家康)と戦闘中だった為に断られ武田軍だけが信玄自らが率いて1万小田原に向けて行軍していた。氏康は武田軍が戦闘しなくても景虎の後方に出陣してくれるだけで効果があると考えていた。

武田信玄は都留郡吉田に着陣し軍議を行う。信玄は北条を助けるには小田原に向かっている景虎の矛先を武田方へといかに向けさせるのかが重要だと考える。真田幸隆(佐々木蔵之介さん)が信濃の割ケ岳城攻略を進言する。この城は景虎にとっても親戚の者の城でここを奪えば景虎の矛先は武田に向かうだろうとゆう事に。既に間者も城内に送り込まれていた。信玄は了承して相木市兵衛(近藤芳正さん)や原虎胤(宍戸開さん)に出撃を命じた。その割ケ岳城に潜入していたのは伝兵衛(有薗芳記さん)や葉月(真瀬樹里さん)だった。城の情報の密談中に城兵が通った為に伝兵衛に自分を襲うようにしろっと告げて乳くりあってる様にごまかしてヒソヒソ情報交換。その後葉月が情報探る為に敵将の寝屋に忍び込むと聞き抱きしめた葉月を話そうとしない伝兵衛。伝兵衛は突然葉月にこの戦の後結婚しようとプロポーズw。が葉月に股間蹴られて(効果音キーンワロス)葉月は去ったのだった(でも葉月も内心嬉しそうでしたから2人は結ばれるんでしょうかね)。

景虎は伊勢との会話でムっとしたのか「儂には神仏のご加護があるのだ。これからその証しを見せる」っと告げてとんでもない行動に出る事に。なんと単身で小田原城の城門のすぐ近くまで行きどっかと腰を降ろしてゆうゆうと北条方を挑発するかの様にゴージャスな杯で酒を飲み始めたのだ。北条方は弓や鉄砲で景虎を攻撃するがなぜか景虎には命中せず矢弾の雨の中でも笑いながら杯で酒を飲み干す景虎。そんな景虎の常人離れの基地外行動を間近で見た氏康は「あれは何者か…儂はあんな奴と戦おうとしていたのか…」とビビってしまう感じで小田原城から討って出る事はしなかったのだった。景虎は戦の最中鎌倉の鶴岡八幡宮で関東管領上杉家の正式相続の儀式を行った。長尾景虎は上杉憲政から一字もらって上杉政虎と改名したのだった。鎌倉では関東の諸将が新しい関東管領を出迎えたのだったが…その中で1人馬上にまたがったままの姿で政虎を迎える武士の姿が。成田長泰だった。それに気付いた政虎は怒って輿を降りて長泰を馬上からひきずりおろして鞭で激しく何度も打ち据えこの無礼者がっと罵るのだった。この事件が後に政虎の関東攻略に暗雲をもたらす事になるとはこの時は思いもよらなかったとゆう事で。




これは成田長泰が景虎に妻を寝取られたと完全に思いこんでの行動って事ですよね。景虎が女には全く興味が無いってゆうのを長泰が事前に知ってればってゆう風にこのドラマではって感じですけど史実では長康が下馬しなかったのは自分が遠く藤原氏の血を引く名門の血筋とゆう誇りからだったらしいですけどね。おそらく妻の部分は脚色なんでしょうね。景虎の小田原城前での酒盛りってゆうのはフィクションですよね?(^^;)小田原城攻めの時ではなくてこの前にあった戦で景虎がただ一騎で馬に乗って北条の大軍の中を突っ切って自軍の武将が守る城に駆けつけたってゆう話は聞いた事ありますけど。海津城ができていよいよ第4次川中島の戦い近しとゆう雰囲気ですな。このドラマでは香坂になってるんですね。これまでのドラマでは高坂だった気がするんですけど。
スポンサーサイト



<< 2007年10月~12月の個人的連ドラ順位(11月18日終了時点) | ホーム | 気象予報士・大沢富士子の事件ファイル-晴れのち嵐そして殺人- >>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 BLOG TOP